以前教育新聞で紹介されていた『死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由』を読んでいます。ちょっとした読み物かと思いましたが、予想以上に発達障害のある「僕」の語りを通して教師としてのあり方を考えさせられる本でした。今回ははじめにから第一章までをまとめていきます。第一章では、「僕」が小学生だった頃の回想が主でした。
教育の目標とは
教育の目標にもいろいろな捉え方があります。この本に出てくる工藤先生の目標は「自律」だそうです。特に中学を卒業すると、義務教育が終わることにもなるので自分で考え、当事者意識を持って行動することが重要になります。
教室を飛び出す
子どもによっては授業中など、教室にいるべき時間に教室を飛び出してしまう児童がいます。そのような子どもたちも、「安心・安全」を求めて飛び出していっている可能性があるということに目を向けたいです。
発達障害のためか「僕」は感情のコントールが難しく、納得行かないことがあると不安や抑えきれない気持ちの高まりから教室を飛び出して、理解者がいる保健室や、誰もいないトイレに篭ることがあったそうです。アンガーマネジメントという単純な対策ではなく、どうすべきだったのか考えさせられます。
記憶の仕組み
個人差がある部分ですが、記憶の仕組みについても言及がありました。
得意な社会などでは、きれいに記憶が整理させて保存され、必要なときに取り出せるようになっているようです。(うらやましい…。)そのため、年号や地名などは整理されて覚えているようです。ただ、LD(学習障害)のため、その漢字などが曖昧になってしまい、テストで間違えることがあるそうです。
記憶は頭の中の仕組みになるので、覗くことができません。自分の記憶の方法も含め、言語化したり整理したりすると記憶がしっかりスッキリするかと思いました。
メンツを守ってあげているか
人前で子どもを叱っているときに、子どものメンツを考えてあげているでしょうか。叱っても大丈夫な状態と大人が判断していても、心の中は見えません。本当はすごく辛いと感じていることも多いそうです。
何度も同じミスを繰り返すことがあっても、それは発達が原因のこともあります。問題の本質を見極めずに、頭ごなしで指導をしていないか考えたいものです。
理解されない苦しさ
将来の夢を書いた文集の話がありました。「武器商人」になりたいと書いて、書き直しになったそうです。確かに武器商人というと戦争に賛同しているような印象も持たれかねません。結局、「僕」は書き直したそうですが、その際になぜそのように書いたのか。真意をしっかり聞いてあげることで理解できる部分があるかもしれません。先生や友達から理解されない苦しさを感じながら生活をしていないか、考えたいです。