勤務校では、若手教員向けの研修が不定期に実施されます。その中で中堅の先生の仕事の仕方を学ぶ機会がありました。教員としての専門性を高めるための考え方について考えました。
発問について
授業の中で肝になるものが「発問」という考え方があります。発問とは何かというと、授業の中で教員が子どもに問いかける質問です。
発問を練るためには子どもの反応を考えることが必要で、地味で時間がかかる作業になります。
ただ、考えてみると指導内容が与えられて、それにそって内容の定着を目指す上で、子どもが主体的に目標を達成しようと考える上では、子どもの作業の時間を増やすこと、そのために教員の発言を減らすことには意味があるのかもしれません。
可視化が難しいものへのアプローチ
また、国語では「話す」「書く」「聞く」「読む」の様々な領域の内容を指導してきますが、「読む」や「聞く」といった領域は頭の中での処理が必要になるため、可視化をすることが難しくなります。
それを測る方法が子どもが話したり書いたりした内容であるといったことも散見されます。地味で時間がかかるけれど重要な発問と同様に、子どもの内的な部分を目的とした「聞く」「読む」の内容の指導は難しいです。
指導内容を構成からいくか、意図からいくか
例えば、説明文を指導する際には、読み方の「型」から教えていくのか、筆者の言いたいことの「意図」から教えていくのか、対立的に考えることも可能です。どうしても目先で指導する内容にばかり目が行ってしまうと、「型」の指導を先にしてしまいがちです。分かりやすい例でいうと段落構成がこれにあたります。
ただし、そもそも筆者はなんのために文章を書いたのかを考えると、意図することを読者(子ども)に伝えるためであるということがわかります。そのための手段が段落構成であり、目的は意図を伝えることです。
これは、図工や音楽で安易に技能だけを取り出して指導する方法に対する批判にも通じる部分があるのかなとも感じられます。
教師のリフレクション
発問にしろ、内面へのアプローチにしろ、指導方法にしろ、全てにおいて「目的」はなにかを考えることが大事なのかなと感じました。
目先の方法にばかり囚われてしまうと、手段と目的が混ざってしまうことにもつながるのかなと思います。なかなか構造が難しいですが、時には自分の実践を内生的に振り返ってみようかなと思います。