Reading ”The Future is Faster than You Think” in Japanese

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2030年の世界,教育はどうなる?

テクノロジーの融合によって,これからの未来は大きく変容していくといわれている。確かに考えてみれば,10年前の2010年は私はまだ高校生で,ケータイ電話を手にメールを使っていた。YouTubeはあったものの,Facebookを使っている人は僅かだった。GIGAスクール構想で日本の学校にもタブレットが導入されるなか,これからの教育はどう変わっていくのだろうか。テクノロジーによる変容を好意的にとらえている側面が強い内容であったが,間違いなく大きな変化がある中で,未来を予測するのは大事だと感じた。ちなみに日本語のタイトルは「2030年すべてが加速する世界に備えよ」。

第8章の教育より

画一的な学校教育は終わる

現在はタブレット,将来的にはVR,により現在の画一的な学校教育は終わるとされている。そもそも現在の教育制度は,工場での大量生産のために子どもを時間(学年・始業時間など)と標準化された質(テストの成績など)で縛ったものといえるため,現代の社会情勢に合っていない。タブレットにより個々の興味や適性に応じた教育を受けられるようになる。

教員の量の確保

世界的にみて教員は足りていない。日本レベルで見ると教員のなり手が減っていることが社会問題になっているが,教員の絶対数が足りず世界には教育を受けられない子どもがいる。こうした子どもたちにタブレットを与え学習をさせる試みが行われている。エチオピアで行われたこの実験では,説明もなくタブレットを渡された子どもがそれを駆使して学習を進めたようだ。ぜひこの原典も読んでみたい。

教育方法の変化

VRによって新しい教育方法も現れると言われている。例えば社会科見学も,現在のように移動するわけではなく仮想現実の中で行うことができるようになるだろう。これによってコストのかからない移動ができたり,本来であればいけないであろう時間や空間を超えた場所を見学することが可能になる。地理の授業でピラミッドを見たり,歴史の授業で江戸時代を訪れたりすることができる時代が来るかもしれない。また百聞は一見にしかずというように,VR を使うことによって差別を受けている人の立場に立って見ることも出来るようになるようだ。

感想

でもやっぱり人ができることがあるのでは?

教員が人である 必要が無くなるような時代が来るとされても,個人的には教師が人として接することで子供たちに何か伝えることができるのではないかと思う。もちろんこの本の中で教員の不要論については述べられていないが,テクノロジーがそれを補って余りあることが示唆されている。ただ,下に書くような学習に意意欲がわかない子どもはどうなるのかなと感じた。

意欲のわかない子どもはどうなってしまう?

やる気のみられない子どもはどうなってしまうのだろうか。もちろん,個々に適正があり,得意なことであれば学習に向かうこともできるかもしれないが,教師のかかわりによってなんとか学習に向かえる子どもはタブレットで学習ができるのだろうか。また,「正しい」使い方をすることができるのかも気になる。

教師が授業をしない時代?

こうなってくると専門性も敵わなくなってしまう教員は授業をせずに,子どもの興味や適性に応じて学習内容を「提案」する図書館の司書のような役割になっていくのではないかと感じた。何か学びたいものがあるときにその学習方法やアプリを伝えたり,興味がわくようなきっかけを与えたりする役割になるのだろうか。選択の幅が広がるのだろうなと感じた。

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